ジブリ(ディズニー)経由でDVDが入手できることをごく最近知った。
会員登録したうえでないと先に進めないことには、「何だかなぁ」という気がするが、
しょうがない、アマゾンでは注文不可能なのだから。
おもわず「おっと」と思ったのは、憧憬にも似た感慨に囚われたからに他ならない。
高校の入学式も終わり、いよいよ授業が始まる矢先に、確か、
日本の交通機関がほとんど止まってしまうゼネストにより、数日間休校になったと思う。
カスタマー満足度などという言葉などない当時、今はもう考えられない事態が起こっていた。
それでも、社会との接点など間接的にしかない高校生には、
していただけるなら毎年でも連帯OKの、束の間のパラダイスであった。
友達と野球をしていたような記憶がうっすらと・・・・
それが一段落して、高校は再開され、しょっぱなの英語の授業が「SR」(サイドリーダー)だった。
教室に手ぶらで入ってきた教師に「あれっ」と思っていたら、
額がやや広めの教師(M先生)が背広のポケットからテキストを取り出したのには、
さらにびっくりしたのと同時に、ちょっと「かっこいいではないか」と・・・・
(テキストは文庫版サイズよりやや大きめサイズ by 美誠社)
いきなり、当たり前であるかのように、読んで訳せ、と廊下側から当てられるも、
誰一人予習などして来た生徒はおらず、ようやく何人か目で訳すことのできた生徒が出た。
まあ、おそらく中学では予習などしたことがなかった者ばかりだったろうから、
そこで初めて、高校での授業には予習が必要なのだと知らされることになった。
その授業のテキストが、リトールド版の"Animal Farm"(動物農場)だったわけです。
その頃は、ストライキには無意味な連帯を覚えるものの、
社会主義だの、ボルシェヴィキだの、集団指導体制だの、粛清だのを
真摯に思考することなどあるわけもなく、例えば、単に「ナポレオンという名前が悪い」といった、
ありきたりで、わけも分からぬ感情論しかなかったように思う。
ただ、ここから、<権力欲>と<支配欲>はほぼ一体であるとの警告を、僕自身は当時受け取ったと思う。
その昔、「太った豚よりも、痩せたソクラテスに」との言葉が流伝した。
寸暇を惜しんで働く、馬のボクサーが救われることがない社会は認められないと思う一方で、
ちょっとぐらいは太った豚になってもいいかなとちょっとでも思う凡愚の身を、不逞かなと自問したりする。
相田みつお風に言うなら、「人間だもの〜」ということになろうか。
ジョージ・オーウェル『動物農場』が、反共産主義として単純に読まれてしまうとすれば、
と同時に逆説的な自由主義礼賛に嵌り込む可能性があるということです。
『動物農場』から何か学ぶことができるとすれば、例えば、
私たちの社会が獲得したと思われている「自由」は決してそんなに自由ではないのだということ、
共産主義であろうと自由主義であろうと、どちらにも支配者と被支配者は存在するのだということ、
ではないだろうか。
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