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2012年度秋季 長崎外国語大学入学式 式辞 2012年9月20日 |
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新入生の皆さん、入学おめでとう。長崎外国語大学を代表して心より歓迎の意を表します。私たちの大学の名前「長崎外国語大学」は、しばしば「長崎外大」という短い名前で呼ぶことがありますので、覚えておくとよいでしょう。ところで、日本は、春夏秋冬、季節の移り変わりが比較的はっきりしているのですが、長崎は、いま、ちょうど夏から秋に変わろうとしているところです。あと一、二週間すると、気温もぐっと下がって、一年の中で自然がもっとも美しく、清々しい季節を迎えます。秋は収穫の時、郊外の田んぼでは、澄んだ青空のもと稲穂が一面に黄金に色づき、市場では栗や柿などの美味しい果物がふんだんに出回ります。「食欲の秋」ですね。秋は、また本を読んだり、勉強したりするのに最適の季節です。 旅に出るにあたって、これまでの知識や自分の物の考え方が邪魔になることがあります。私の好きなアメリカの詩人、ホイットマン(Walt Whitman)は、僕自身の歌(Song of Myself)のなかで対象と直接に触れ合うことを「ぼくは森のはずれの堤にのぼり、墟妄の装いを捨てて素裸かとなり、大気と触れあうことを狂おしく願う」(I will go to the bank by the wood and become undisguised and naked, I am mad for it to be in contact with me.)と言っています。日本に来たのですから、これまでに学んだ知識や物の考え方を脱ぎ捨てて、文字通り素裸になって日本という世界に飛び込んでほしいのです。 ナガサキという街との出会いもあります。道路、バスの路線、チンチン電車、長崎駅、たくさんの坂、小さく区分けされた街、港、橋、市役所、教会、学校、消防署などの建物、公園、広場、ショッピング・センター。さまざまな目印があります。長崎を知らない皆さんは、長崎の町がまるで謎だらけの世界に思えるでしょう。「朝早くから大勢の人が長い列を作って並んでいる、あのお店は何だろう?」「パチンコ屋さんですね。」、「あれは、神社それとも仏教のお寺?」「鳥居があるから神社ですよ。」、「金色に光る神社のような建物のミニチュアをのせて走っている、あの大きな黒い自動車は何ですか?」「さあ、なんでしょうね。考えてください。」皆さんは、街にあふれる、これらの多様な事物、あるいは記号の一つ一つの意味を読み解き、あなたの頭の中に、独自の、長崎というイメージの世界をつくることになります。 長崎は、空間的にも歴史的にも一つの「物語」のようなものです。「長崎物語」を読むことには日本の他の町とはまったく異なり、特別の意味があります。長崎は、昔から中国をはじめとする東アジア諸国との交易で栄え、十六世紀のポルトガル船来航以降は海外貿易とキリスト教伝道の中心地となり、二百五十年に及ぶ鎖国時代は西洋文明に開かれたほとんど唯一の窓だったからです。つまり長崎は古くから外国の文化と外国の人々に接し、いわば政治・経済・文化における輝かしい国際交流の舞台であり、近代日本の発祥の地だったのです。また、長崎が原爆被災地であるという事実も見過ごしてはなりません。長崎の街は、日本の近代化の歴史、人間の愚かさと平和への祈りを物語っています。長崎の街を悠然と歩きまわる散歩者(saunterer)となって、これらの物語に耳を傾け、これらの一つ一つを素材としてあなた自身の「長崎物語」を紡ぎだしてください。 これからの半年、一年あるいは四年間の留学生活を経て、皆さん自身が最終的に獲得する新しい世界とは、一体どのようなものなのでしょうか、あなた自身が紡ぎだした「長崎物語」はどのような意味をもつのでしょうか。その答えは、旅の最後まで誰にも分かりません。旅の途中の展開に一喜一憂すべきではないでしょう。心配や不安は無用です。さあ、一緒に長崎物語の旅、新しい世界獲得の旅に出発しようではありませんか。 長崎外国語大学の新入生の皆さん、入学おめでとう。 |