• HOME
  • > 2011年度春季卒業式式辞(2012年3月23日)

大学案内

2011年度春季卒業式式辞(2012年3月23日)

2011年度春季 長崎外国語大学卒業式 式辞

2012年3月23日
長崎外国語大学 学長 石川昭仁

  皆さん、卒業おめでとう。留学生を含むすべての卒業生に大学を代表して心から祝福の意を表します。皆さんが無事この日を迎えることできたのはもちろん皆さんの努力の賜物ですが、それを今日まで見守り、助けて来られた保護者の方々にも、合わせて心よりお慶び申し上げます。

 卒業にあたって、皆さんは、一つのことを成し遂げた達成感があるでしょう。試験や課題からやっと解放されたという開放感もあると思います。しかし、卒業は終わりではありません。英語では卒業を<commencement>と言いますが、これはまさしく「始まり」という意味です。あなた方が自から責任を持たなければならない本当の人生が、今始まろうとしているのです。

  この晴れやかな人生の門出に際して、学長として皆さんにメッセージを贈ります。

  外国語を学科や専門のコースを問わず、皆さんが外国語を学ぶために入学し、学んだということの意味について改めて考えてみたいと思うのです。フランス語であれ、ドイツ語であれ、中国語であれ、その外国語に熟達し、ある程度自由にコミュニケーションができるようになった人もいると思います。また、努力したが十分には満足のいく結果が得られていない人もいると思います。今、その成果は問いません。より重要なことは、皆さんが外国語に興味をもって長崎外国語大学に入学し、外国語を4年間学び通したというかけがえのない事実です。外国語を学びたいという願いは、「自分とは異なる世界、あるいは他者を深く知りたい」、「他者と繋がっていたい」という皆さんの根源的な欲求に基づいているということです。それが職業の手段となるかどうかは、もはや重要ではないのです。

  英語にempathyという言葉があります。compassionといってもいいでしょう。共感力という意味です。人と人とのコミュニケーションは、empathyあるいはcompassion、つまり「他者への共感力」、「他者のことを自分のことのように感じることができる力」がなければ成立しません。長崎外国語大学は、まさにこのempathyの体育館であり、他者への共感力という筋肉を鍛える場所であったといえるでしょう。皆さんは、外国語と格闘することによって、自分とは異なる他者の声を聴き、理解し、深く他者と関わる、そのための訓練を4年間受けてきたといえるのです。

 長崎外国語大学が2001年に開設されて今年で10周年を迎えます。皆さんも記憶にあると思いますが、9月11日4機の旅客機がほぼ同時に乗っ取られ、うち2機はマンハッタンの世界貿易センタービルへ、もう1機はペンタゴンへ突入し、残る1機は墜落するという事件がおこりました。アメリカ同時多発テロ事件です。他者への思いやり、異文化に対する敬意と共感の欠如が招いた悲劇です。世界中いたるところで、様々な悪がempathyの大規模な枯渇によって引き起こされています。他者を理解しない、理解したくないという生き方から様々な悲惨な事件が生まれているのです。私は、このテロ事件に衝撃を受け、「文明の衝突」あるいは「異文化の衝突」が絵すら事でないことを思い知りました。また、もっぱらアメリカのことを勉強してきた私は、すこし大げさに言えば、この事件を契機としてアジアを発見し、アジアと繋がり、多くの素晴らしい友人に恵まれたのです。

  あれから10年、東日本大震災から私たちは何を学ぼうとしているでしょうか。2011年皆さんが卒業する年に「絆」あるいは「つながっていよう日本」ということばが日本中を駆け巡り、多くの人が家族や恋人、友人との絆を確かめ合いました。東日本大震災という未曽有の災害によって私たちは自らの生き方を再検討することを余儀なくされています。その中で、我が大学の学生諸君も含めて、多数の若者が真っ先に被災地の救援活動に参加しました。彼らは、まさにcompassionに満ち溢れた人たちであると思います。経済の状況や社会環境も厳しい中、今日卒業していく皆さん一人ひとりと、これらの勇気ある若者の姿が二重写しとなり、このビジョンのなかに困難な未来を切り開く大いなる可能性を感じます。

  いま少しずつですが個人と社会との関係が、変化しつつあるように思います。これまで福祉などの公共サービスは、政府や地町村が一方的に市民に提供してきましたが、これからは、役所は裏方に回って、私たち自身が主役となって公共サービスの一翼を担うという方向性が出てきています。私たちは国民である前に、自立した個人としてお互いに結ばれ、お互いに助け合う、みんなで造った共同体の一員であるという考え方への転換です。
かつて、学生の皆さんと一緒にトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』という本を教室で読みました。彼は、アメリカの19世紀半ば、アメリカを視察したフランス人です。トクヴィルは、その本のなかで、個人主義が、人間どうしの関係を希薄にしていることを指摘しました。アメリカでは、そうした個人主義を乗り越えて、一人一人の個人が積極的にお互いに手を携え助け合う努力をしていて、そのことによって民主主義の欠点が補われているというのです。

  私たちは、自分の世界に引きこもり、自分ばかりをかわいがることが多いのではないでしょうか。ともすれば個人を超えたところの私たち自身が一致協力して造りあげる社会に関心を持ち、積極的に関わっていくということを忘れがちになります。

  聖書(マタイの福音書7:12)は「だから人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」’Do for Others what you want them to do for you’と教えています。私たちは、他者と手に手を携え、人にしてもらいたいと思うことを、人にすることによってはじめて、自分が一人ではないことを発見し、また、自分が生きていることが、むしろ反対に人に支えられてはじめて可能になるのだ、ということを実感できるのです。アメリカの元大統領John F. Kennedyは、“Ask not what your country can do for you - ask what you can do for your country.”という有名な言葉を残しました。この言葉ならっていえば、“Ask not what others can do for you - ask what you can do for others.” どうか、人のために何ができるかを考えることのできる人になってください。

Do for Others. Yes, you can do it.

卒業おめでとう。