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学長スピーチ 2010年度秋学期 長崎外国語大学入学式 式辞(2010年9月24日)

2010年度秋学期 長崎外国語大学入学式 式辞

2010年9月24日
長崎外国語大学 学長 池田紘一

新入生諸君、入学おめでとう。今年の夏は世界的な天候異変のせいで、長崎でも本当に暑い日が続きました。その暑さも一段落して、今日は雲一つない清々しい秋晴れです。こういう秋晴れを日本では「日本晴れ」とも申します。晴れた空を独り占めにしたような言い方ですが、秋は収穫の季節でもあり、行楽や読書に最適の季節でもあり、そういう秋の到来への喜びを表現したものです。
一昨日は満月でしたね。仲秋の名月です。日本ではススキやハギなどの秋草を瓶にさし、小さな白いお団子を供えてお祝いしますが、中国では仲秋節としてもっと盛大に祝うと聞いています。私は中国人の友人からゲッペイ(月餅)を贈られ、日本のお団子と一緒にいただき、秋の訪れをしみじみと実感しました。

この素晴らしい季節の始まりに、秋学期の新入生として、正規学生と短期留学プログラム(JASIN、NICS)学生とを合わせて177人の学生諸君を迎えることになりました。その内訳は、中国から117人、台湾から4人、韓国から8人、アメリカから36人、イギリスから2人、フランスから6人、ドイツから2人、南米のコロンビアから1人、北欧のノルウェイから1人です。ちなみに、コロンビアとノルウェイから留学生を迎えるのは本学としては初めてのことで、殊のほか嬉しく思います。
日本では、春に高校を卒業し4月に大学に入学するのが普通です。しかし本学では留学生のことを顧慮して、秋学期入学の制度を積極的に取り入れています。

長崎学院長崎外国大学は、キリスト教の教えを建学の精神としています。皆さんが手にしている入学式プログラムの表紙に本学の校章が記されていますが、これはV を三つ重ねて図案化したもので、先ほどの聖書朗読にもありましたように聖書の中のイエス・キリストの言葉、VIA VERITAS VITA(わたしは道であり、真理であり、命である)の頭文字の組み合わせです。
長崎学院は1945年、第二次世界大戦が終わった年に発足し、今年は創立65年周年の年に当たります。長崎は改めて申すまでもなく、広島とともに原子爆弾の悲惨を経験した町です。本学は、原子爆弾の惨禍の中で、戦争に対する深い反省とキリスト教的人間愛の精神に基ずいて創設されたのです。その根本にあったのは、世界の平和と人類の共存共栄のためには、若者たちが外国の言葉を学び、その背景にある各民族の豊かな歴史や文化、ものの考え方やものの感じ方を学び、国や民族を超えて相互に深く理解し合うことが何よりも大切であるという理念です。

本学はいまこの建学の精神を継承して、特に国際交流に力を入れ、日本人学生と留学生とが共に学び、交流を深め、知識と経験を分かち合い、学生たちが真に国際的な視野を備えた人間に成長することを教育の目標にしています。「キャンパスが世界」、これがわが大学のモットーですが、事実ここには、中国があり、台湾があり、韓国があり、アメリカがあり、イギリスがあり、ドイツがあり、フランスがあり、そしていまコロンビアがあり、ノルウェーがあります。そしてもちろん日本があります。小さな縮図ではありますが、キャンパスが世界なのです。
しかし最も大切なのは、国や民族の違いを超えて、学生同士がひとりの人間として、一個の人格として交わり、共に学び、経験し、議論し、場合によっては口論し、そのプロセスの中で徐々に、人間として共に生きていく知恵を獲得してゆくことです。人間的交流、これが第一です。

けれども、人は誰しも、良きにつけ悪しきにつけ、自分が生い育った環境の影響を身にまとっています。それは容易に脱ぎ棄てられるものではなく、また自らの原点として大切なものでもあります。ですから、人間的に交わるといっても簡単なことではなく、早晩、言語や文化の大きな壁にぶつかることになるでしょう。来日以前に皆さんがもっていた日本に関する予備知識が役立たず、数々のカルチャーショックを味わうことにもなるでしょう。食事一つをとっても(食事もまた紛れもないカルチャー、つまり文化です)、調理法が違う、味が違う、食べる作法が違う。人と人との付き合い方や礼儀作法にしても、外見上は何もかも違う。
しかしそれは当然のことであり、そのような違いがあるからこそ、皆さんは日本を留学先に選ばれたのではないでしょうか。どのような場合でも、すぐにこれはだめだとか、これは気に入らないとか、これはおかしいとか、批判的に見るのではなく、偏見を持たずに、ともかくまず何でも経験して下さい。日本の生活の真只中に飛び込んで下さい。長崎外国語大学の真只中に飛び込んで下さい。先生たちにどんどん質問を投げかけ、まわりの日本人学生に積極的に話しかけて下さい。そうやって多くの経験を積んだのちに、その経験の意味をじっくり考えて下さい。

文化の最たるものは言葉です。皆さんがこれから学ぼうとしている日本語です。言葉は単なる伝達の手段でもなければ道具でもありません。どのような国の言語にもそれを育んできた文化やものの考え方や感じ方の長い歴史が息づいています。皆さんの母語についても同じです。しかしその事実に本当に気づくのは外国語を学ぶ苦闘を経験したときです。
たとえば英語圏から来た皆さんは、英語という言葉を自在に使いこなし、英語のことなら何でも知っていると思っているでしょう。しかし皆さんにとっては英語は空気のよう存在で、英語の特性も、そこに息づいている文化も、実際にはほとんど分かっていないのです。外国語、特に欧米系の言語とはまったく異なる日本語のような言語と格闘したときに初めて、自らの言語が見えてくるのです。同じ東アジア文化圏に属し、漢字文化を共有している中国人留学生の皆さんにしても、事情はまったく同じです。いや、一衣帯水で漢字を共有しているからこそ却って、言葉においても文化においても大きな戸惑いや疑問を感ずるかも知れません。しかしそれが重要なのです。それは同時に、母語や自国の文化を顧みる大きなチャンスなのです。
畢竟するに、最も難しく、また大切なのは、言葉の中に潜む異なる文化、異なる考え方、異なる感じ方と対決し、これを理解すべく努めることです。同時にその過程を通じて自らの文化、自分自身と改めて向き合い、自分自身を再発見し、そして最後に二つの言語、二つの文化の間に、いや他者である二人の人間の間に、真の対話と友情が生まれることです。

最後に申し上げたいのは、皆さんは長崎の地で勉強するのですから、どうか留学のチャンスを生かして、ぜひとも長崎の町と人に親しんでいただきたいということです。長崎で学ぶということには、日本の他の町で学ぶのとはまったく異なる、特別な意味があります。長崎は、昔から中国をはじめとする東アジア諸国との交易で栄え、十六世紀のポルトガル船来航以降は海外貿易とキリスト教伝道の中心地となり、二百五十年に及ぶ鎖国時代は西洋文明に開かれたほとんど唯一の窓だったからです。つまり長崎は古くから外国の文化と外国の人々に接し、いわば政治・経済・文化における輝かしい国際交流の舞台であり、近代日本の発祥の地だったのです。
どうか町を歩いてその足跡を辿り、諸君の先達たちがこの地でどんな活躍をし、日本との交流にいかなる貢献をなしたかを偲んでください。それは21世紀の国際交流のあり方を考える上で大いに役立つでしょう。長崎の人たちは長い歴史的経験から、外国人に対してきわめて開かれています。諸君も、その気になれば、長崎の市民の間に多くの友を見出すことができるでしょう。
間もなく長崎では「おくんち」を迎えます。10月7、8、9日の三日間、長崎はおくんちの祭り一色に染まります。機会があればぜひこれを見物してください。いま私が申し上げた長崎の歴史的国際都市としての特色がよく分かります。

本日の入学式にあたって、これから皆さんが長崎外国語大学で大いに勉学に励み、充実した学生生活を送るとともに、長崎の町に親しみ、将来皆さんの国と日本、皆さんの故郷の町と長崎との交流の架け橋になられるよう祈念して、学長の式辞といたします。
長崎外国語大学の留学生の皆さん、入学おめでとう。