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長崎外国語大学・長崎外国語短期大学の卒業生諸君、卒業おめでとう。中国、韓国、フランスからの留学生32人を含むすべての卒業生に、大学を代表して心から祝福の意を表します。諸君が無事この日を迎えることできたのはもちろん諸君の精進の賜物ですが、しかし申すまでもなく、それを今日まで精神的に、また経済的に支えてこられた保護者やご家族の温かい愛情の賜物でもあります。その保護者やご家族の方々に対しましても、合わせて心よりお慶び申し上げます。
卒業生諸君、いま卒業の時に当たって、諸君が大学と短大に入学した日を思い起こしてください。それから四年、あるいは二年、諸君は学生生活で何を得たでしょう。何を学び、どのような体験を積んで来たでしょう。何か自分の中で大きく変化したものがあるでしょうか。自分が人間として成長し大きくなったという実感があるでしょうか。充実と満足を感じているでしょうか。それとも反省や悔いが残っているでしょうか。社会へ巣立つ喜びを感じ、十分な心構えができているでしょうか。それとも不安を覚えているでしょうか。その答えはおそらく、諸君の一人ひとり、それぞれに異なるでしょう。 しかし、諸君の誰にも共通していることが一つあります。大学と短大とを問わず、学科や専門のコースを問わず、またその動機はいろいろであっても、諸君の全員に共通しているのは、外国語を学ぶために入学し、外国語を学んだという事実です。その結果外国語に熟達し、自在に操ることができるようになった人もいるでしょう。あるいは、努力を重ねたが十分に満足できる結果が得られなかったという人もいるでしょう。しかし、そのいずれであっても、諸君が外国語を真剣に学んだという事実、いや外国語と格闘した、悪戦苦闘を演じた、外国語の険しい道をふうふう言いながら登ったという事実は、諸君がそれをどう思っていようとも、かけがえのない経験なのです。 外国語を学ぶ最も大きな意義は、それを仕事や実務で使うという実用的な意義を別にすれば、まず何よりも「他者」と「自己」の再発見、他人と自分を改めて発見することに他なりません。諸君が入学して以来、事あるごとに引用してきたドイツの詩人ゲーテの言葉を、別れに際してもう一度繰り返すことをお許しください。ゲーテはこう言っています。「外国語を知らない者に自国語は分からない」と。これは単に言葉だけのことを言ったのではなく、「外国語、外国の文化、あるいは他の人間を知らない者に、自国語、自国の文化、あるいは自分は分からない」という意味を含んでいます。しかし、逆にまた、自分を知るということは、それによって相手をいっそうよく知るということでもあります。従って私はゲーテの言葉に倣ってこう申し上げたい。「自国語を知らない者に外国語は分からない」と。つまり、自国語、自国の文化、あるいは自分を知らない者に外国語、外国の文化、あるいは他の人間のことは分からないということです。 「他を知り、自らを知る」、「自らを知り、他を知る」、これこそ人間が自らの可能性を実現しながら他の人間と共に生きてゆくための、他の人間のことを思いやりながら自らを生かしてゆくための、つまり、個としての人間が社会という集団の中で生きて行くための、最も重要な前提です。それあってはじめて、人間と人間の間に橋が架けられ、共に働き、共に理解しあい、共に生きてゆくことができるのです。国際間の交流や協力もまた、これあってはじめて実を結ぶでしょう。 諸君はつまり、意識するとせざるとに拘わらず、外国語との格闘を通じて、人間が社会の中で生きるとはどういうことか、世界の中で生きるとはどういうことか、異なる考えや価値観や感じ方を持った他人同士が共に生きてゆくとはどういうことか、その難しさをも素晴らしさをも、身をもって経験してきたのです。これは諸君が、これから社会に出てどのような道を進むのであれ、大きな力になると信じます。
諸君は本日をもって学校生活に別れを告げ、社会に船出します。それは何よりも真に大人として、自立して生きるということを意味します。自立とは、自らの人生に自らが責任を持つということです。自分がどのような人生を送るにせよ、たとい一時的に不本意な恵まれない状況に陥ろうとも、それを他人や社会のせいにしないということです。他のせいで自分がこうなったのだと嘆くことは、自分は他に依存していて自立していないと告白しているも同然です。困難に出会ったら、自ら粘り強くそれを克服する知恵と努力と勇気を示してください。
諸君が踏み出して行く社会は、大学とは異なり決して生易しいものではありません。現代の社会は精神的にも物質的にも、未来ある青年に大きな夢を抱かせるような情況にはありません。就職ということ一つをとってみても、極めて恵まれない状況にあります。諸君の中には未だ進路が決定していない人もあるでしょう。しかしどうか決して諦めないでください。自分の人生は自分で切り開くという気概をもって、粘り強く努力を重ねてください。 『阿Q正伝』で有名な中国の文学者魯迅、中国革命の精神的支柱となった魯迅はこう言っています。「絶望は虚しい。それは希望が虚しいのと同じである」と。これは魯迅が当時の中国のどうしようもない現実を前に一時絶望しかけたとき自らに対して発した言葉です。 私は学生時代にこの言葉に出会って以来、自分が苦境に陥ったときには胸の中でつねにこの言葉を繰り返してきました。どんな場合にも決して絶望してはならない、それはいたずらに希望を抱くのが虚しいのと同じように虚しいことだ、自分のできることを精一杯やる、人事を尽くす、人事を尽くして天命を待つ、私は魯迅の言葉をそう理解して自分を励ましてきました。 諸君は若い。前途には未だ諸君の知らない多くの経験、多くの人との出会い、多くの発見や驚きや喜びが待っている。諸君が自分でも知らない自分の隠された能力が試され、発揮される場面がいくらでもある。どうか何事においても決して諦めず、粘り強く、かけがえのない一度限りの自分の人生を精一杯生きてください。
最後に、今回卒業する41名の短期大学の卒業生諸君に特に申し上げます。諸君は短期大学第59期、短期大学最後の卒業生です。長崎学院長崎外国語短期大学は、前身の長崎外国語学校を母体に昭和25年(1950年)4月に発足し、爾来多くの優れた人材を世に送り出してきました。卒業生は実に一万人を数えます。 私は学長就任後間もなく、「言語文化論」という授業で一年間短期大学の学生と接しましたが、実に優れた資質と熱意を持った学生が多く、その楽しく活気に溢れた授業はいまでも忘れがたく胸に刻まれています。このような学生たちのいる短期大学を閉じるのは、まさに痛恨の極みですが、如何せん時代の波には勝てず、今回最後の卒業生として諸君を送り出すことになりました。 しかし六十年にわたって築かれた短期大学の誇るべき伝統は長崎外国語大学に引き継がれ、生き続けます。たとい短期大学はなくなっても、短期大学の名はいつまでも記憶にとどめられ、私たちの励ましとなるでしょう。諸君も本学の歴とした卒業生としてこれから先も本学のとの縁が切れることはありません。栄えある最後の短期大学卒業生としての誇りを胸に巣立たれますよう祈ります。私もまた長崎外国語短期大学の学長として諸君に接しえたことを心から誇りに思っています。
以上、名残は尽きませんが諸君の新しい門出を祝って式辞といたします。 長崎外国語大学、長崎外国語短期大学の卒業生諸君、諸君の今後の活躍を心からお祈りします。 卒業おめでとう。
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