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学長スピーチ 2009年度春学期 長崎外国語大学入学式 式辞(2009年4月3日)

2009年度春学期 長崎外国語大学入学式 式辞

2009年4月3日
長崎外国語大学 学長 池田紘一

新入生諸君、入学おめでとう。長崎外国語大学の全教職員を代表して心から歓迎の意を表します。また、この日に至るまで育みそだて、成長を見守り、支援してこられたご列席の保護者やご家族の方々にも、合わせて心よりお祝い申し上げます。

諸君が手にしている入学式のプログラムの表紙をご覧ください。そこにはラテン語でvia veritas vita(わたしは道であり、真理であり、命である)と記されています。この簡潔で、力強く、美しい言葉、「道」、「真理」、「命」は、先ほどの宗教主任の聖書朗 読にありましたように、「ヨハネによる福音書」に見られるもので、イエス・キリストが自らを明かして述べた言葉です。表紙の一番上に記されている校章は、この言葉の三つの頭文字、すなわち v を三つ組み合わせたもので、長崎学院・長崎外国語大学の建学の精神を象徴しています。

長崎学院は63年の歴史を有しています。学院の基が築かれたのは第二次世界大戦が終結した年、1945(昭和20)年のことでした。諸君もよくご承知のように、長崎は広島とともに原爆の悲劇を経験した町です。その傷跡も生々しい中で、戦争に対する深い反省とキリスト教的な人間愛の精神に基づいて、日本の再建のためには、そし てまた世界の平和と人類の共存共栄のためには、外国語を学び世界的な視野と教養を身につけた若者を育てることこそ急務であるとの精神から創立されました。諸外国の言葉を学び、その背景にある各民族の豊かな歴史、文化、生活を知る。そうしてはじめて真の理解と友情が生まれる。創立者たちはそう考えたのです。 この建学の理念は60年余を経た現在でもまったく色褪せていません。いや、現今の世界情勢を見れば、その先見の明に驚嘆の念を禁じえないほどです。私は学長として、そのような大学でいま諸君を迎え、諸君とともに学び得ることを誇らしく思います。

長崎外国語大学は、長崎外国語短期大学の長い歴史と伝統を背景に八年前に産声を上げ、今年の3月に第5回の卒業生を世に送り出しました。創立以来の短期大学を含めた卒業生の総数は11,698人の多数にのぼりますが、そのうち大学の卒業生は724人です。 しかし卒業生たちの活躍はめざましく、新生長崎外国語大学の名がようやく世に広まり、礎が固まり、本学はいま第2のステップに向けて大きく飛躍しようとしています。

特に本年度は、わが大学にとって、記念すべき新たな船出の年に当たります。これまでは外国語学部に国際コミュニケーション学科の一学科しか存在しませんでしたが、本年度から英語を中心に学ぶ「現代英語学科」と、ドイツ語、フランス語、中国語、韓国語、もしくは日本語を中心に学ぶ「国際コミュニケー ション学科」の二学科体制に生まれ変わったからです。今年一年生に入学する諸君はつまり、この新しい体制で迎える最初の学生です。それだけに私たちが諸君にかける期待には大きなものがあります。変化はこれにとどまりません。同時に、国際化の時代である21紀を見据え、学生の国際交流を教育目標の中心に据え、「世界がキャンパス」、「キャンパスが世界」という旗印のもとに、国際交流大学としての特色をはっきり前面に打ち出したことも大きな変化です。「世 界がキャンパス」、これは、できるだけ多くの学生諸君に世界各国の大学に留学する機会を提供し、留学の経験とその成果を本学での勉学の一部として評価しようというものです。そのために本学では世界中の50に近い大学と交流協定を結び、これまでにも多数の学生を世界中の大学キャンパスに送り出してきました。 留学制度の充実と実績は本学のような小規模の大学としては他に類がないと自負していますが、これを今後ますます進展させてゆきたいと考えています。それでは「キャンパスが世界」とはどういう意味でしょう。実はわが大学では、日本人の学生を海外に送り出すだけでなく、逆に海外から多くの留学生を受け入れ ることにも力を注いでいます。本日入学する新入生は、編入学および転入学の学生を含めて総計一六四名ですが、その内の五三名は留学生です。また本学にはJASINプログラム、NICSプログラムと呼ばれる外国人留学生のための短期留学制度があり、このプログラムの留学生四七名も本日の入学式に臨んでいま す。留学生の出身国ないしは出身地域は、中国、台湾、韓国、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、エルサルバドルと多岐にわたります。つまり諸君は、仮に外国に留学しなくとも、本学のキャンパスにいながらにして、多くの外国人学生と交わることができるのです。すなわち「キャンパスが世界」なのです。そし てこの利点を積極的に生かすべく、本年度から「留学生と共に学ぶ」という明確な方針のもとに、授業においても、学生生活においても、日本人学生と留学生との交流を大いに促進してゆきたいと考えています。国際交流大学を目指すというこの新たな方針は、外国語大学だからこそ実現可能な、いや長崎の地にある外国語大学、他ならぬ長崎外国語大学にこそ打ってつけ の目標だと私は考えます。

外国語大学と名のつく大学は日本に七つあります。しかし関西以西では、ただ一つ、長崎外国語大学だけです。しかも長崎ほど「外国語」という言葉の似合う町は他にありません。長崎で外国語を学び、異文化について学び、国際交流の意義を身をもって知る――それはなんと意味深く、魅力的なことでしょう。長崎は、古 くから中国をはじめとする東アジア諸国との交易で栄え、十六世紀のポルトガル船来航以降は海外貿易とキリシタン伝道の中心地となり、江戸時代の250年間は西洋文明に開かれたほとんど唯一の玄関口だったからです。長崎はいわば近代日本の発祥の地だったのです。しかし同時に、長崎が原爆被災地であったという 事実も忘れてはなりません。長崎はつまり、国際間の平和的な交流がどれほどの精神的な、また物質的な豊かさをもたらすかを証している町であり、その一方で、国際間の対立がいかなる悲惨な結果をもたらすかを証している町でもあるからです。

では諸君は長崎の地に位置するこの長崎外国語大学で、何を学ぶのか、何を身につけるのか。本学は具体的な教育目標として、三つの大きな柱を立てています。それは「語学力」と「コミュニケーション力」と「人間力」です。語学力を身につける、これは外国語大学の学生として当然のことです。語学力の鍛錬は入学から卒業まで一貫して休むことなく続けなければなりません。それもたった一つの外国語で満足してはなりません。諸君は外国語大学の学生なのですから、外大生の誇りにかけても、少なくとも二つの外国語に習熟するという気概をもたなくてはなりません。しかし大学は、単に語学力を磨き、会話力を身につければそれでよいという場ではありません。巷に五万とある単なる語学 学校や会話学校とは根本的に異なるのです。語学力と表裏一体をなして、いや、ある意味では語学力以上に大事なのは「コミュニケーション力」と「人間力」です。語学力は、それが人と人とのコミュニケーションに生かされるのでなければ、何の意味もありません。自分の考えをしっかり相手に伝え、相手の言葉によく耳を傾け、相手の考えを理解する力、これこそ肝心なのです。しかし何よりも大切なのは人間力です。自らの頭で考え、自ら問題を発見し、自らそれを 解決する力、自ら計画し、行動し、実践する力です。そのためには深い教養と幅広い知識が必要なことは申すまでもありません。同時に他の人間の立場を思いやり、他の人間と協調し、協力して、何事かを実現する力、これあってはじめて人間力はまさに人間力として力を発揮するのです。このような人間としての総合的 な力、この力がなければそもそもコミュニケーションすら成り立ちません。そしてこの力を身につける場、それが大学です。社会もまた、何よりもそのような力をそなえた人間を求めているのです。諸君が将来いかなる道に進むのであれ、たとえば会社に就職する場合でも、語学力だけでは道は開かれません。まず第一に 人間力、そしてコミュニケーション力、そこに語学力が加わったときにはじめて、その語学力は特別の価値を持ち、輝き、本当に生きるのです。

話がやや抽象的になりましたので、「人間力」のいわば大前提とでもいうべきものについて、少し具体的なことを二つだけ申し上げておきましょう。 一つは「汝自らを知れ」ということです。つまり、「自分自身を知ること、自分がどんな人間であるかを自覚すること」、これが何よりも重要だということです。普通は誰でも自分のことは分かっていると思い込んでいますが、自分を知るというのは案外難しいのです。人 間はまず赤ん坊としてこの世に生を享けますが、最初は母親の腕の中しか知りません。それから少しずつまわりの世界が見えてきますが、しばらくは親きょうだいがすべてで、いわば家庭だけが世界なのです。それから幼稚園に入り、小学校に入り、中学校に進学し、世界は少しずつ拡がってきます。といっても、それは まだまだ小さな世界です。私は小学校の四年生のときに初めて友だちの家に泊まったことがあります。そのときびっくりしたのは、何もかもがそれまで自分が育ってきた家庭の在り方と違うということでした。料理の作り方も違えば味付けも違う。布団の敷き方も違えば布団の匂いも違う。タオルに石鹸をつける か石鹸をからだに塗りつけるか、お風呂でのからだの洗い方が違う。顔を洗ってから歯を磨くか歯を磨いてから顔を洗うか、朝の顔の洗い方が違う。親子の接し方も違えば、家族同士の話し方も違う。とにかく全部違うといってもいい。正直びっくりしたのです。なぜそんなに驚いたかとういと、それまでは日本中の、い や世界中の家という家は全部自分の家と同じだと思い込んでいたからです。と申しますか、その友だちの家の中を知って初めて、そう思い込んでいた自分に気づいたのです。この小さな経験によって分かったのは、自分の世界がいかに狭いかということ、それと同時に、この世には自分の知らないことがいかにた くさんあるかということ、そして、これが一番大きなことですが、異なる世界を知ることによって自分に気づく、自分を再発見するということでした。自分を知るといっても、ただ自分とは何だろうと自問しつづければ分かるというものではありません。たとえば自分の顔というもの考えてください。人間は、一生 涯自分の顔を直接に見ることはできません。鏡に映る顔や写真の顔は本物の顔ではありません。かといって、自分の顔はやはり鏡や写真を通じてしか知ることができませんし、たしかに直接にではないけれども、それは自分の顔を知る重要な、いやほとんど唯一の手段なのです。他人と接する、見知らぬ土地や外国に旅す る、他人の書いた書物を読む、その場合、その他人、見知らぬ土地や外国、書物、これらはみな自分を映す鏡なのです。そして外国語と取り組むこと、外国語と格闘することは、まさにこの鏡の最たるものなのです。ドイツの詩人ゲーテは「外国語を知らないものに、自国語は分からない」という有名な言葉を残しました が、外国語を学んではじめて自国語の何たるかに気づくのです。

諸君は高校までは、親や学校や世間の庇護のもとに生活してきました。大学に入学するということは、その庇護を離れて、何事も自分の頭で考え、自分で判断し、自分の責任で行動するということを意味します。自立するということを意味します。そのためにはまず自らを知らなければなりません。自分はこうだと いう思い込みや、外から、親や学校や世間から、あるいは友だちから、お前はこうだ、こういう人間だと貼り付けられていたレッテルを捨て去り、脱ぎ去って、自分自身と正面から向き合ってください。そうすればいままで知らなかった自分が見えてきます。それこそが本物の自分なのです。しかしこれは、言うは易し行うは難し、至難の業です。ただぼんやり考え、自問するだけでは堂々巡りに終わります。何かにぶつかって痛さを感じたときにはじめて自分のからだを自覚するのと同じで、自分を知るには自分を映す鏡が必要なのです。

「人間力」の大前提としてもう一つ申し上げたいことは、何事にもぶつかって行く「勇気」ということです。勇気!できればこれを諸君と私との、いやわが大学の合言葉にしたいのです。私はあるとき、当時は鹿児島に住んでいたのですが、自分の子どもが通っていた小学校の一年生の授業を参観したことがあります。先生がクラス全員にある質問を しました。すると一斉に殆どの子が「はい、はい、はい」と手を上げました。中に二三人、手を上げようか上げまいかと不安げにもじもじしている子がいました。先生は「待て、待て」と言って、その子たちが手を上げるのを待ち、全員の手が上がったのを確かめたあと、元気よく「はい、はい」と言っていた生徒のひ とりを指しました。「田中君!」田中君はさっと元気よく立ち上がって、大きな声で一声、「分かりません!」と答えて座りました。先生も生徒も参観していた保護者もどっと笑いました。私も笑いましたが、心から感動しました。実に素晴らしいと思いました。私が「勇気」というのはまさにこれです。「はい、はい」と一斉に手を上げた子どもたち、少し遅れてではあるが、皆につられて手を上げた子どもたち、そして田中君、この勇気、この元気、この輝き、人間は、子どもなら殆ど誰もが持っているこの勇気を、いつどのようにして失ってゆくのでしょう。諸 君もまた子どものときにはまちがいなく持っていたこの勇気、それを記憶の底からもう一度呼び覚してください。外国語が下手でも発言する勇気、語りかける勇気。外国語を言い間違えたからといって何ほどのことがあるでしょう。別に命を取られるわけではありません。私は先に「キャンパスが世界」ということを申しましたが、しかし日本人学生と外国人留学生が互いに声をかけ合う勇気がなかったら、キャンパスは世界にはなりません。そして質問する勇気、分かりませんと いう勇気。あるいは「おはよう」、「こんにちは」という当たり前の挨拶の言葉をかける勇気、感謝の気持ちを「ありがとう」と率直に口に出す勇気。あるいは見知らぬ国や土地を旅し、見知らぬ人たちの中に飛び込んでゆく勇気。あるいはまた、老人や小さな子どもなど弱者に助けの手を差し伸べる勇気、どうか何事に も勇気をもって臨んでください。大学という新たな世界に踏み出すのにも、未知の学問や知識に挑戦するのにも、留学するのにも勇気が要ります。しかし勇気を持てば、自分の中に潜んでいる、自分では気づかずにいた力、可能性が芽を吹きます。新しい世界が開けます。勇気は自分を再発見する要であり、人間力を鍛え る最も根源的な力です。合言葉は「勇気」、どうかこれを肝に銘じてください。どうか初心を忘れずに勉学に励んでください。私どもはみな、教員も職員も、諸君が知的にも人間的にも大いなる変化と成長をとげ、自立した人間として、語学力とたくましい人間力を身につけて、勇気ある人間として、社会へと、世界へと羽ばたいて行けるよう、全力を傾けます。

合言葉は「勇気」、がんばりましょう。入学おめでとう。