『厭戦』 清張の朝鮮体験 (昭和36年)

 九州のある城下町に佐平窟という洞穴がある。ここは、秀吉の朝鮮役の時に、朝鮮から海峡を渡って帰国した針尾佐平についての伝説が残っている洞穴である。佐平は藩主について朝鮮に渡ったが、帰国し、故郷に戻ってきた。夫が戻ってきたことを知った妻は、夜になると食事を洞穴に運んだ。子どもにも会わせた。洞穴に住み始めて25日目に発見され、磔の刑に処せられた。
 松本清張が召集されて朝鮮の京城郊外の竜山に衛生兵として赴いたのは昭和18年6月のことで、34歳であった。後に、南部の井邑に移り、終戦を迎える。この短編で清張は自分の姿を佐平に重ねているように思える。「私はこのときほど、死ぬとき家族のところで息を引き取りたいという願望に燃えたことはない。見知らない土地で、見知らない人間に取り巻かれて死ぬことの悲惨が、この時代ぐらい実感をもって迫ったことはなかった。」と清張は書いている。
 清張は出征するにあたり、家族を佐賀県神崎の妻の実家に疎開させる。その時に叔父・叔母宛に毛筆で認めた手紙は、北九州市にある松本清張記念館に展示されている。

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