フルベッキとギュツラフ

  フルベッキはモラビィア派の教会で洗礼を受け、同派の学校で学んでいた。その学校では、遠くの宣教地から戻って来た宣教師にも会う機会があった。その一人がカール・ギュツラフ(1803-1851)である。このギュツラフは日本とも関係の深い宣教師である。中国から日本に入国しようとしたが、叶わず、1832年8月に那覇に寄港し、漢訳聖書を配布する。中国に戻ると、日本人の3人の漂流難民を引取り、日本語を学ぶ。その3人とは、宝順丸で14カ月漂流した後にアメリカ西海岸に漂着した音吉、岩吉、久吉であった。そして、ヨハネ福音書とヨハネの手紙第一、第二、第三を日本語に翻訳した「ギュツラフ訳聖書」をシンガポールで出版する。この聖書は四国学院大学名誉教授浜島敏氏がCD付きで現代に蘇らせた。ギュツラフ訳聖書には、三人の出身地尾張地方の方言が見うけられると言う。
  1837年7月にギュツラフはウィリアムス宣教師らとともにモリソン号で音吉ら7名の日本人を送り届けようとする。しかし、異国船打払令で幕府側から砲撃され、引返すこととなった。いわゆるモリソン号事件である。
  オールコックの後を継いだ第二代駐日公使のハリー・パークスはギュツラフの甥にあたる。

    参考図書
  • 曽野綾子著『海嶺』(上・中・下)角川文庫(昭和61年)
  • 日本聖書協会(編集)『ギュツラフ訳ヨハネによる福音書-現代版、語句の解説つき 抜粋朗読CDつき 2006年
  • W.E.グリフィス著(松浦玲監修・村瀬寿代訳編)『新訳考証 日本のフルベッキ-無国籍の宣教師フルベッキの生涯-」洋学堂書店 平成15年
  • 都田恒太郎著『ギュツラフとその周辺』教文館(1978年)

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