幕末・明治期の日本の近代化は宣教師の活動を軸に展開したと言える。オランダ改革派教会が派遣したフルベッキ(Guido Fridolin Verbeck)はその一人である。フルベッキ(1830-1898)は1859年(安政6年)11月に長崎に上陸する。長崎には1869年(明治2年)3月まで滞在し、東京へ向かう。キリシタン禁制の高札が撤廃されるのは1873年(明治6年)のことであるので、宣教師の活動は教育が中心となったのは必然である。とは言え、長崎滞在中に佐賀藩の家老村田若狭・綾部恭兄弟に洗礼を施す。彼は日本人のアメリカ留学にも大きな手助けを行った。
フルベッキは改革派教会の本部に報告書を送っている。それが書簡集としてまとめられたものが本書である。幕末から明治にかけての様子を知る基本的な文献として第一に挙げられる書物である。
フルベッキが長崎に着いた翌年女児をもうけるが、2週間の命であった。エマ・ジャポニカと名付けられた彼女の墓は稲佐山の外人墓地にある。