ヘンリー・スタウトは1865年にラトガース大学を、1868年に神学校を修了し、1869年(明治2年)3月11日に長崎に着いた。そこにはフルベッキがいたが、フルベッキはスタウトの到着後東京に行ったので、長崎での活動はゼロからのスタートとなった。初めは広運館で教師をしていたが、その職を辞し、妻エリザベスと私塾を始める。スチールアカデミーとスタージェスセミナリーはその後東山学院と梅香崎女学院となる。この本は著者G・D・レーマンの博士論文であるが、とても読みやすい日本語訳となっている。ラトガース出身であるスタウトは長崎滞在が1906年までの長きに亘った。妻エリザベスの墓は坂本の国際墓地にある。ラトガース出身者としては他にブースとディマレストもこの本には登場する。
G・D・レーマン著 峠口 新訳 新教出版社1986年