田口武史

『グリム童話』でおなじみの「ドイツ民衆文学」を、思想史・文化史の観点から研究しています。最近では特に、18世紀後半の「民衆啓蒙運動」(農民の生活改善・意識改革を試みた思想運動)とその中心人物のひとりR.Z.ベッカーに力を注いでいます。

「民衆啓蒙運動」の担い手たち(教育を受けた市民、役人、教育家など)は、「哀れな農民を生活指導によって救い、今より幸せにしてあげよう」と考えました。すなわち彼らは、これまで教育を受けてこなかった下層階級の人々に、実用的な知識、合理的な生活術、能率的な耕作法、堅実な市民的人生観を植え付けようとしたのです。このとき啓蒙家たちは、社会的弱者に対する同情心に突き動かされていたに違いありません。しかしそれは、農民にとっては余計なお世話にすぎませんでした。農民自身は、生活改善を望んでいなかったのです。結局「民衆啓蒙運動」は、農民を社会にとって有用な人材に仕立て上げようと試みた啓蒙市民たちの、独善的で一方的な動きであったと言わざるを得ません。

<実用的>、<合理的>、<能率的>、<堅実>、どれも社会に貢献する人間となるには不可欠な徳目です。それらを否定することは、啓蒙主義以降の良識に反します。ただ、「社会に貢献する人間」というときの「社会」とは、いったい何なのでしょう。その「社会」のなかに「私」も含まれているのか、「私」に役立つことよりも「社会」に役立つことのほうが価値が上なのか、よく考えてみる必要があると思います。

率直に言って、ドイツ語専修で学ぶドイツ語やドイツ文化、ひいては大学での学問全体は、直接「社会に貢献できる」スキルを伝授するものばかりではありません。ひょっとすると、社会にとっては無用なものもあるかもしれません。しかし、「私」を深め、「私」を幸福にする知識を大学の授業で見つけられたなら、たとえそれが社会的には無用と見なされても、やっぱりかけがえのない経験ではないでしょうか。

知識の価値は「社会」から判断されるものではなく、それを学んだ「私」自身が作り出すものだ。口幅ったいことを申し上げるようですが、そんな気概で、長崎外国語大学の皆さんと一緒に学んでゆきたいと思っています。

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